教育

「思考力」ってどうやって伸ばすの?

最近、「思考力が大切だ」と言われているけど、どうやって伸ばしたらいいの?

「今は『知識』よりも『思考力』が大切だ。知識なんか、ググればすぐに出てくる。」「膨大な量の暗記しても無駄だ!」

なんてこと、よく言われますよね。

文科省が10年に1度改定する学習指導要領のリーフレット「生きる力~学びの、その先へ~」の中で、

「これからの社会が、どんなに変化しても予測困難になっても、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、判断して行動し、それぞれに思い描く幸せを実現してほしい」

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm

とあります。下線の部分がいわゆる「思考力」にあたるのではないでしょうか。かなり広範囲かつ曖昧な脳の働きですよね。

ようするに、「思考力」とは「考える力」であり、その力が高いと問題解決能力も高くなる考えてもよさそうです。

これからの時代、言われたことをただこなすのではなく、様々な問題を解決していく能力が問われているのではないでしょうか。

では、この思考力、考える力はどのようにしたら身につくのでしょうか。

学校現場では、思考力を身に付けさせるために様々な取り組みをしています。

例えば、「問題解決学習」。算数では、この「問題解決学習」のおかげで、基礎・基本の計算力が疎かになっているように感じます。(もちろんすべてではありません)

授業の初めには、めやてや課題を確認してから授業を進め、最後にまとめをして、自らの学びを振り返るスタイルは定着していると思います。

このこと自体は良さそうに見えますが、あまりにも課題→まとめ→振り返りを徹底するために、そのこと自体に時間を割き、肝心の中心部分の授業内容に時間を割くことが難しくなっています。

授業参観などで見たことありませんか。「算数の主問題を板書する時間」、「それを解決するための課題を板書する時間」「まとめを板書する時間」「振り返りをする(書く)時間」すべて45分の授業内に行われます。そうです、書く時間をかなり割かれているのです。

このようなテンプレート化した授業は、学校内、学年内等、あるいは先生の経験年数や実力差での差を極力少なくするために行われています。

初任者にとっては、授業を行う際の基本となっていいのですが、経験のある先生にとっては、授業を創意工夫する楽しみを奪われているようで、あまり面白くありません。

このような「思考力を向上させよう」として、「考えることを積極的に授業に取り入れている」のが今の教育現場の実態です。

では、結局「思考力が向上している」のでしょうか・・・。

私はそう感じませんでした。これからの時代が求める思考力を向上させるようにしているが身につかず、結局知識の方も疎かになっているのが実情ではないでしょうか。

島根県の丸山知事が警告した「義務教育の体を成していない」というのは、まさにこのことで、学習指導要領の改善が必要だと思われます。

ズバリ個人的な見解です。

思考力というものは、何かこれをすればつくというものではなく、
①「幼少期からパズルやブロックなどの知的玩具に親しむこと」
②「文章を読めるようになったら、様々な問題(問い)、課題に対して、自分の頭で考え、答えにたどり着くという経験」
を重ねることでしかつかないと思います。

「どうしてだろう」「なぜだろう」「どうなっているのかな」「どうすればいいのだろうか」などと問いに対して試行錯誤しながら解いていく、答えていくこと。これは問題集をこなしていくことで何とかなりそうです。問題を解くという行為は、出題者と回答者による対話なのです。

ですから、難しいことは考えず、いい問題集をひたすら解くことが思考力アップにつながると思われます。

あと、思考力を上げる効果がありそうなのは、読書をすることでしょうか。問題集を解くことが出題者と回答者との対話であるのなら、読書をすることは筆者と読者との対話になります。筆者の伝えたい内容をいかに理解し、他の人に伝えられるくらい頭の中で整理する。そのことで、思考力はどんどん向上すると思われます。

昨今の思考力向上のやり方に疑問をずっと感じていましたが、最近読んだ本にそのもやもやが的確に書かれていたので紹介します。(少し長いですが勘弁してください)

社会で求められる能力が多様化していることは、教育関係者も理解していますが、それを教育の現場に落とし込もうとすると途端におかしな提言をすることになってしまいます。その最もたる例が、「自ら考える力を養う」でしょう。問題を見つけ、自分で考えて問題を解決する……。そんな曖昧で抽象的な能力に勝手な名前を付けてそれを向上させようなど、これ自体が「自ら考える力」のなさの露呈です。いったいこの世の中のどこに、「自ら考える力」などという抽象的な能力を「学習」した人がいるのでしょう。それを人から教わった人がいるのでしょう。「自ら考える力」は学校で訓練しないと身につかないものだと、ほんとうに信じているのでしょうか。政府の役員や学者に促されて、「自ら考える力」を学校教育で教えられる、教えなければならないと、もし真面目に信じてそれに取り組もうとしている先生がいたとしたら、それこそ教育という柔軟な発想を求められる仕事に対して、その能力を持たない人たちが受けもたされていることの不幸を表しています。

「日本人の9割が知らない遺伝の真実」 著者 安藤寿康 発行者SB新書

https://amzn.to/3FtuWCT

もう、安藤先生に全面的に賛成です。

児童に「自ら考える力」をつけさせようとする、あるいはつけさせられると思っていること自体が教師の傲慢なんですね。

結論としては、

  1. 「教師は、担当する教科の面白さを工夫して伝え、興味・関心を高めつつ、問題を与え、解かせていく」
  2. 「興味・関心をもった児童・生徒は興味ある内容が書かれている本をどんどん読んでいく」

そのくらいしかないのではないでしょうか。

また、「名探偵コナン」が好きな子は、謎解きの通信教育もいいかもしれませんね。(広告です)

アニメを楽しみながらナゾを解く「名探偵コナンゼミ」
ABOUT ME
kodomokoukoushiyouze
元凡人小学校教員。長男の小学校入学を機に、勧奨退職(早期退職)。多くの子育て本、教育本から得た知識と20年超の教職経験、子育て経験から『主に10歳くらいまでの子育て世代』へ向けて『子育てや教育』に関する情報を発信していきます。
<